
実はひっそりと存在している僕のnote。
これを見た大学生たちから、感想と質問をもらう機会があった。
というのも、僕のことを日芸時代から「見かけていた」という方から、授業の教材として紹介したい旨のご連絡をいただいて。
僕のようにインターネットの海へ文章・画像・動画などを発信していると、無断でどこかの誰かが何かに使っているということは多々あって。
「ひと言でも連絡くれればなー」と、容認できないけれど仕方ないと諦めているところがあるのだけれど。
連絡をくれてありがたかった。
そして、授業で扱ってくれた上で、生徒から感想や質問をいただいた。
同じように…、文章や画像や動画などで発信し続けていても、なかなかちゃんと感想などをいただくことが少ない僕なので。
これも素晴らしい機会をいただけたと嬉しく思っている。
このブログ記事では学生から寄せられた質問にいくつかご返答します。
「見た目をいじられた経験」「それでもポジティブに生きる方法」「自分自身を肯定するには」
一番最初にお伝えしておくと…
僕のことをよく知る友人たちはみんな承知していることなのだけれど、僕はとてもネガティブ思考です。
ただ…、鬱々としている本心を表に出すと、SNSでもなんでも見た人が不快だとみんな言うので(笑)
今でも落ち込んでばかりの日々だけれど、努めて明るく振る舞っています。
(本音を出して大丈夫だと信頼できるラジオだとか場所を選んでいる)
小さいころは同年代の子たちから「白い白い」と言われることもあった。
悪気無く「なんでみんなとちがうの?」と聞いてくるのとは別に、意地悪で言葉を投げてきていた人もいたと思う。
それは大人になってからも同じで、素直に「(脱色しているんだと思って)真っ白でキマってますね!」「そこまで何回ブリーチするんですか?」と、美容師さんにすら聞かれたことがある。
あるときは夜道で、遠くから「白子!白子ぉ!」と叫ぶ声が聞こえてきて、それはさすがに恐ろしかった(もちろん怒りもおぼえた)。
アルビノの一目瞭然である特徴の「見た目」は、そんな嫌な体験を引き寄せてしまうところは確かにある。
けれど、それでも僕が自分のこのアルビノを肯定していられるのは…
これまでに「いいね」と言ってくれた人たちの方を好きでいたから。
幼少期から、母親は僕の頭を撫でながら「キレイ」「天使みたい」「かわいい」と言っていた。
2人の兄(アルビノではない)も「カッコいいじゃん」と何も気にせず一緒に遊んでいた。
友だちだって「目印になるから良い」なんて冗談も言ってくれてたし、もちろんお付き合いした恋人たちは見た目も含めて好きでいてくれた。
まちがいなく、ネガティブ思考な僕が自分自身を肯定できたのは、僕のことを肯定してくれた人たちのことが大好きだから。
表現活動をはじめてから特に実感したことだけれど…
こちらのことを嫌いな人のことは、しばらく時間をおいて忘れ去ってやるのが良い。
自分のことを嫌いな人に、意識や時間を費やしてしまうのなんてもったいない。
そういう人がいるのは事実で仕方がないけれど…
それよりは自分が自分らしくいることに「いいね」と言ってくれる人たちと、一緒に楽しく笑い合っていきたいじゃない。
自分のことを好きでいてくれる人を、その大好きな人たちの言葉を、とても大切にしていればきっと、自分のことも少しは好きでいられると思うのです。
「アルビノであることをポジティブに考えること」「アルビノで良かったと思うこと」
僕らは生まれつきなので、アルビノではない人生と比較して考えるのは難しいのだけれど。
みなさんが「アルビノの人生」を想像するのと同じように、僕からも想像して考えてみると。
「普通コンプレックス」を抱かないでいられることは、ポジティブです。
中二病だとか揶揄されようと、どこかで「人と自分はちがうんだ」と思いたい感情って、よくあると思う。何か特別でありたい意識というか…
普通の人は、特に昔の日本では「みんなと同じ」に安心感を求めていた一方で、どこか「何者でもない自分」にコンプレックスを抱いていた人も多い。
少し目立つファッションをしたかったり、ファッションとしてブリーチしてみたり染髪してみたり。
そういう周りのみんなを見ながら僕は「生まれた時から自分はみんなとちがう」という認識で…ある意味で優越感みたいなものは感じてた。
もちろん、日焼けは大ヤケドとか、弱視とか、色々と劣等感をおぼえることもあったけれど。
「人とちがうって才能みたい」と思えたから、今も個性的(unique)という言葉が好きで、ポジティブに捉えています。
あとは、小ネタみたいになるけれど。
「人に憶えてもらいやすい」とか「生き様そのものが表現になる」とか
「駅前でムダなチラシを渡されないで済む」とか(笑)
「家族はどう心の支えになったか」「家族との関係は」
上にも書いたけれど、家族はアルビノである僕を否定しなかったのが良かったと思う。
事実、家族旅行に行っては旅先で日焼けしたり、一緒にスポーツを楽しめなかったり、リビングではテレビの真ん前に陣取ってたり、色々と普通ではない日常で、手間も面倒もあっただろうけれど。
「幸司がアルビノじゃなかったらな」と言われたことはない。
アルビノである僕が「できないこと」は、できないんだから仕方ないとすんなり諦めてくれたというか。
よく晴れた日に「外出しよう」と言われた僕は「眩しいし日焼けするしイヤだ」と言って、ひとりで家でテレビを見て過ごしていたりした。
そんな時に普通を無理強いされていたら、とても悲しかっただろうと思うけれど…
ちょうど良く放っておいてくれたというか、できないことはできないんだと理解して、そのままにしてくれた。
なので正直…、関係性というと「仲良くもない」のだけれど(笑)
今でも離れて暮らしていても気にかけてくれていたり、何かあれば助けてくれる信頼のようなところがあって。
悪くもない家族、だと思います。
「アルビノで悩んでいる子へ」
本当に、30年前・20年前と比べたら時代は大きく変わった。
今では、わからないことはインターネットを活用して調べれば納得できるところまでたどり着ける。
僕自身も孤独を感じることが多いタイプだけれど、現代なら、学校以外に居場所を求めることもできたりする。
狭いコミュニティでは、差別・偏見みたいなものもしぶとく残っていたりもするけれど…
外の世界といつだって一瞬で繋がれる。
それこそ、アルビノで40年以上、基本的に楽しく笑いながら生きてきた僕みたいなおじさんも見つかる。
だから大丈夫。
日本国内でも1億2千万人以上の人がいる。
自分のことを嫌いな人、敵意や悪意を持って近付いてくる人、そんな人とはサクッと関係を絶ってしまったって、わりとなんとかなる。なんなら気持ちが楽になって生きやすくなる。
目の前にいる大人だって、知らないことだらけのまま生きている。
大人はみんな、知らないことはネットで調べたり、知らないままでもいいやとスルーしたりして生きている。
そして大人たちも結構…、自分らしさなんて見つけられずに迷いながら生きている。
だから大丈夫。
みんなと同じじゃなくて大丈夫。
楽しく笑って幸せに生きていくことはできるから、大丈夫。
「教職者を目指す学生へ」「私たちができること」
学校の先生たちも、大変な時代だと聞いています。
そんな先生たちに…これ以上「知らなければならないこと」として知識を押し込もうとするのにも無理があるんじゃないかと思ったりしています。
実際、アルビノについて全く知らないまま教師生活を全うしていく人も多いでしょう。
アルビノ以外にも、身体的だったり精神的だったり、家庭環境だったり…すべてのケースを教科書に載せて学ばせるのは不可能です。
なので…、日焼け厳禁で弱視で見た目がとてもちがうアルビノで、公立小学校・公立中学校、都内の私立高校(男子校)、4年制私立大学(5年かけて卒業)と、学生生活としては普通な道を歩んできた僕が伝えたいと思うことは。
「なんでみんなと同じにできないの」とだけは言わないであげて。
運動だって、勉強だって、周りとのコミュニケーションだって、普通にできる子もいれば特別得意な子も、そして苦手な子もいる。
「なんでできないの」なんて言われたら、どうすることもできない。詰む。
だって…、本人にそんなの、わかるわけがないんだから。
先生にわからないことが、親や大人にわからないことが、子どもたちにわかるわけがない。
私たちこそ「みんなと同じ」は絶対正義じゃないことを忘れずに
自分の得てきた知識と経験と想像力をもって
ひとりひとりと向き合って欲しいと思います
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