【アルビノな僕へ】令和の時代を生きるJKからの柔らかなご質問にお答えします

お元気ですか~?
どうも!僕はアルビノ・エンターテイナー、粕谷幸司です。

今回はTwitterのDMで、アルビノの日本人で36歳・独身男性の僕に、JKからご質問をいただきました。

良かった~。JKから興味を持ってもらえる存在でいられて、良かった~!

課題研究で、人の見た目についての論文を書くことに決め、調べていたところ、粕谷さんのインタビュー記事を見つけ大変感銘を受けましたので、ご連絡させていただきました!
いくつか質問があるので、お答え頂ければ幸いです…。
①粕谷さんはご自分がアルビノであることに対してプラスに受け止めていますが、悩んだことはありませんでしたか?
②アルビノの方に問わず、自分の見た目にコンプレックスを感じている人達に伝えたいことはありますか?
③粕谷さんの様に自分のアイデンティティを生かすために必要なものは何ですか?

これまで十数年くらい、Webメディアなどに積極的に表現・発信をしてきた僕ですので。
インターネット検索が情報収集の初手として当たり前になった現代では、アルビノについて「少し調べてみよう」と思ったら直ぐに僕に辿り着いてもらえるのは、本当に嬉しいことです。

2009年5月 マイフェイス・マイスタイル情報誌 取材時 粕谷幸司
【写真】2009年5月 マイフェイス・マイスタイル インタビュー取材にて

そんな僕ですから…、色んな所で色んな質問に答えていたり、当ブログをはじめ自己表現として色んな所に色んな言葉を残していますけれど。

結果として全部を拾い集めるのは不可能なくらいの量になっていると思いますし(良い意味で!)、年月が経てば思うところや伝えたい言葉や角度が変化していたりもするなあ、と今回ふと思いました。

それに加えて今はStayHomeで時間も有り余っているので!
のんびりたっぷり、ご質問にお答えしてみます~。

アルビノで悩んだことはありませんでしたか?

まずこの「悩んだことはありませんでしたか?」という質問の仕方に、とても柔軟性が感じられて、現代の感性は素敵だなあ!と思いました。

それこそこれまで十数年で、僕は各所でボヤいていました。

「質問者の方は大抵、決まって“やっぱりいじめられましたか?”とか“どんな苦労をしましたか?”とか“どれだけ悩みましたか?”と聞いてくる。
 まるでアルビノはいじめられるべき存在だと、苦労しながら悩みながら生きる運命だと言わんばかりに、悲劇の人生をつくりあげたいのかと思えるほどに。
 僕は、アルビノだからいじめられた経験は無いし、人並みに苦労や悩みは多い人生だけれど、すべてをアルビノのせいにしたくない気持ちがあるんだけどなあ。」

苦労や悩みが、まったくないことはない。
けれど…、アルビノじゃなくてもいじめで悲しむ人がいるし、アルビノじゃなくても就職で苦労する人がいる。アルビノじゃなくても人生で悩むことなんていっぱいあるでしょう~?と、僕は何度も記者さんたちを悩ませてきた(笑)。

ところが令和のこの時代。
「ありませんでしたか?」と、わりと先入観ナシに質問してくれるのが、僕はとても素晴らしいなあ~と思いました。

まあ、僕の記事などを見てからコンタクトしてくれているわけで、ある程度そんな僕の考え方を理解してくれているから、というのがあるのだとは思いますが。
素直に、その柔らかな考え方を、大切にして欲しいと思います!

…と、前置きが長くなりましたが。

アルビノで悩んだこと、あると言えばあります

幼少期は、自分で自分のことを説明することができずに「粕谷くんはなんで(みんなとちがって)白いの?」と聞かれるのに困りました。
自分でもよくわからない自分のことを、聞かれて説明できないことは、ある意味悩み、だった気がします。

それは、もしかしたら現代で言うLGBTQの方々に通じる感覚かも知れません。
「なんで?」と聞かれて、自分のことなのに説明できないことは、悩みになり得ますねえ。

中高生のころは…、暇すぎて悩んだこともありました。
アルビノなので、日焼けしないように気をつけていなければならないことから、屋外の体育の授業などは日陰で見学をしていることがほとんどだったのですが。
見学者が僕一人だったりすると、もう暇でしょうがなくて悩みました…。

みんなとちがう僕だけ別行動、というのはなかなか、人生を通して悩みどころでしたねえ。
だから…ひとりで考えごととか、許されるなら寝ちゃうとか。ひとりで(誰にも干渉せずに)その時間をどうにかする、という方法をいつも、考えていました。

もちろん、就職活動のころにも悩みではありました。
とはいっても、そのころは前に進むために悩むというか。
見た目や能力が、普通の人と大きくちがうことを理解した上で…人とちがう自分を活かすにはどうすれば良いんだろう?と、考え続ける日々でした。
身の回りに、ピタッとくる答えをくれるアルビノの先人が居なかったので、答えのない問題に悩める日々だった気がしますねえ~。

見た目にコンプレックスを感じている人たちへ

コンプレックスのカタチが人それぞれだと思うので、みなさんに向けて何をお伝えすれば良いのかも、それこそなかなか悩ましいですが(笑)。

いま思うのは…、なにはともあれそれが自分、ということだけは否定しないでおきましょう、ということですねえ。

「みんなとちがう」ことは、それほど変なことじゃありません。
近年ではハリウッド映画だってディズニー映画だって、色んな人がいる世界を当たり前として描いています。
むしろみんなと同じ(普通)すぎることがコンプレックスな人も現代には多いです。
「あなたの個性は?」と聞かれて答えられない、普通コンプレックスの人、結構います。

まあ…個性だと言い切れるかどうかはまた別の話なのですが。
そんなわけでひとつ、そもそもドッペルゲンガーでもない限り“人はみんなちがう”もので。
人とちがう、その自分こそが自分なんだ、ということだけは否定しないでいたいと思うんです。

その上で、その自分が好きとか嫌いとかは、自分の感性の問題で。
その自分が嫌いな自分も自分だとしたら、そんな自分を好きでいてくれる他人もいて。
そんな自分を好きでいてくれる他人のことも否定する必要がないですし、自分のことを嫌いな自分を好きでいてくれる他人のことを好きになっても、良いと思いますし。

…後半は少し、言葉遊びが楽しくなってしまいました(笑)。

なにはともあれそれが自分。
それだけは、否定しないであげましょう。

アイデンティティを生かすために必要なもの

僕は何度か…昔どこかで「コンプレックスをアイデンティティに」と言っていたことがありました。
人とちがうことが、とても深いコンプレックスになるのだとしたら…、人とちがうことを、とても強いアイデンティティに思えるんじゃないか。
そんな風に、考えたんです。

むしろ…コンプレックスと思えるくらい自分の中にある大きなモノだけが、アイデンティティになるんじゃないか、くらい思います。

そう、ある意味…アイデンティティに必要なのはコンプレックス。
それくらい自分の中で“気になること”が重要な気がします。

なので、1つ目2つ目の答えとも繋がるのですが。

自分の何が、人とどうちがうのか。
人のことを見るのと同じくらい、自分自身も真正面から見つめて、否定しない、理解して受け容れる。
じっくりと、人とちがう自分と向き合うことが、コンプレックスをアイデンティティに仕上げる方法なのかな~と、思いますねえ。

自分に向き合い、良いも悪いもどちらとも、自分という存在をまず受け容れて。
そうしてから、必要な分だけ知識とか経験とかを持てたら、自分を人に説明できるだけの言葉が、自分の中に芽吹いてくると思うんです。

幼いころの僕は、自分のことを聞かれているのに自分の言葉で説明ができなくて、どうしようもなく泣いていました。
けれど少しずつ、自分の言葉で人に説明できるようになってから…、むしろ自分のことを本当によく理解できたような気がして、自信というか、人とのちがいが自分らしさのひとつなんだと思えるようになりました。

いやホント…みんなと同じすぎる「普通コンプレックス」の人こそ、アイデンティティの発掘は大変だと思うんですよ…。

ご質問いただき、そして最後までお読みいただき、ありがとうございました!

以上、アルビノ・エンターテイナー:粕谷幸司でした。

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