原点回帰「ブログは自由だっ!」

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そう、ブログは自由なんです。
企業や団体、またはレビュワーなどのプロ・ブロガーでないのなら、ブログは個人の自由なメディアなんです。

粕谷幸司の、かすやどっとねっと
だから、広告が無くても良いんです。

…えーっと。

最近は、このスタイルが落ち着いてきたというか、楽なような気がしていたので。
例えばスマートフォンアプリについてとか、インターネットのあれこれとか、またはアルビノ(アルビニズム)についてとか。
色んな「種」について記事を書く、ということをしていたのですが。

このごろ僕が気になっているアーティスト(イラストレーター)のトキンさん(@tokin0528)のブログ記事をふと目にしてから、原点回帰というか、「ブログで“自分を発信する”んだ!」と息巻いていたあの頃の気持ちを思い出したのです。

あしあとを忘れるな|日々、ふかふか

私は変わったけれどもさ、変わる前の私のこと、あのヒリヒリした時間を、
私はちゃんと大事に出来てるだろうか。
あの時間がなかったら今はなかったのに。

それから、それから、今までの友達を大事に出来てるか?
誰かの思いをけっ飛ばして前に進もうとかそういう気持ちでいるんじゃないか?

…自分への問いかけ。
在りし日への回帰。
自分を見つめる記事として、とても等身大の言葉で、素直に書かれているその文章は。

とある商品についてとか、とある事象についての記事よりも、場合によっては、人にとっては、とても価値のあるものなんじゃないか?…と。

僕も、かつては頻繁に。
自分の思うこと、考えていること、熱くなっている瞬間を、ブログに刻み込んでいました。
そして、自分と向き合い、人を見つめ、これまでのことを整理しながらこれからの人生を歩むという、人生を残すツールのように、ブログを書いていました。

…べ、べつに、その書き方を忘れてたってわけじゃ、ないんだけど!
なんというか、それこそ“はるか遠くの見知らぬ人”を意識しすぎて、身近な人や、僕を本当に大切に思ってくれている人へ、なにも届けられていなかったのではないか?
なんて、ちょっと省みてしまったわけです。

「面白いと思うの、オレだけかも?」と思うことだって、自分のブログになら書いてもいいじゃないか。
「オレが今、どうしても気になること」なら、好きなように、気にしながら記事にしていいじゃないか。
「ありがとうや、ごめんなさいを」伝えるために1エントリーを割いたっていいじゃないの。

自分のブログだもん。自分のホームだもん。

そういう自由なところが、ブログの好きなトコロなんだもん、僕は。

だから今、こうして思想だけの文章を書いてみて、戻ってみようと思い立っています。
「粕谷幸司だ、楽しく活動しているよ!」というだけの記事でも。
「これ喰ってみたら、美味かったんだよ!」というくだらない内容でも。
“僕”を伝えられるのなら、僕のブログとしては、100点満点だ。

そんな僕が、今ちょっと気にしているブログが、例えばこれら。
 ▼
近江商人JINBLOG
人生、七転び八起き。~眼瞼下垂の会・副代表理事まりんのブログ~
堤幸彦の2012日記
日々、ふかふか

どれも、ある意味「万人ウケを狙っていない」というか。
読みたければ読む、人に興味があれば見る。
そういう、本当の「ホーム」のように使われているのが、気持ち良いなと、そう感じたんです。

ブログを「たくさんの人を呼び込むデカい空間」とするか、
それとも「見たい人が自由にやってくる個としての空間」とするか。

…どちらにしようと、自由なのです。
そう思ったんです。

ですので、もうちょっと縛られずに。
粕谷幸司のブログ:KASUYA.net – かすやどっとねっとも、自由を思い出して、動き始めようかと思っています。

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