[日記]やめよう

この記事は約4分で読めます。
当ブログは商品紹介の際にアソシエイト広告を使用することがあります。ページ内のリンクを介して商品を購入すると著者に収益が発生することがあります。

やってみてやめるのも悪くない。
やってみてやめようと思うだけの意味を得られたから。


ある時「このまま突然、死んでしまったら、僕は何も無かったことになるのかな」と、ふと切なくなった。
生きる意味のようなことをいつも考えている僕だから、さほど不自然なことでもない。

それと最近、本当に記憶がどんどん失われていくことにも寂しさを感じていた。
まずい病気かも…と不安になったりもしたけれど(そしてその不安は拭い去れはしないけれど)、まあ年齢によるものかなと思うことにして。
そりゃあ、何十年も生きてくれば、全部を憶えていることなんて無理だろうし。忘れる程度のことなんだからいいだろう、そういうものだろうと考えるようにはしたのだけれど。

日々、何かしらを考えているのに、それが「何もなく消えていく」ことに、切なさと、虚しさと。
だからまずは毎日日記を書いてみて、消え続けていくものを残してみたいと思ったんだ。

それが、2022年8月の毎日ブログ日記更新だった。


ところで僕は、整理整頓好きとしても表現者としても、“何にもならない”ような物事がわりと嫌いで。
たとえば何年も使っていない物は、それが多少の思い入れがある物でも「捨てようかな」と思う。
たとえば表現活動ひとつにしても、誰も求めていない見も聞きもしないなら「やめよう」と思う。
…それでもどうしても捨てたくない、やめたくない大切な物事は勿論あるのだけれど。

少し拗れているところで、今回の毎日日記についても、積極的に「見てください!」というものでも無かったけれど、絶対的に「誰かに読んで欲しい」とは思っていた。
けれど結果、多分、誰も読んでいないので。

毎日日記は、丁度1ヶ月やってみて、やめることにした。

僕は今回、日記を書くというリマインダーをGoogleカレンダーに毎日設定して、毎晩の寝る前に更新する、というルーティンを試してみた。
さほど型は決めずに、とにかく毎日書くということだけで始めてみて。すぐ苦痛に感じるかな?飽きるかな?とも予想してみてはいたのだけれど。
案外、毎日書くということは、そういう自分なりのやり方を作れさえすれば難しくはなかった。

幼い頃、夏休みの宿題で日記とか全然続けられなかった自分が嘘みたいだ。
いや…もしかしたらそんな、過去に上手く出来なかったことだからこそ、人生経験もあって今、出来るようになったのかも知れない。


功績として、シンガーソングライターの柴田淳さんとTwitter上でやり取りさせてもらえて嬉しかったー。

そして改めて「日記とは…?」と考える機会になった39歳の夏。

実際には僕は、本当に誰にも見せない本音で書き殴る日記を、ここ何年も続けているし、そっちはまだ、もう少し続ける予定です。


それと、やってみた意味として。
「毎日書こう」と思ってやってみたら、すぐ出来たという結果は、物書きとしてのリハビリのような裏の狙いもあって。

これからは…「久しぶりにブログ書くぞ…!」と妙に意気込まなくても。
書きたい思いがあれば、書こうと思いさえすれば、いつでも書けるという自信が持てたと思うから。
ウォーミングアップ完了として、これからは書こうと思ったらブログ記事、書いていくので。

読んでください、必ず!
(「誰も読んでくれないなら書く意味ない」と思うタイプの表現者なので!)


ところで最後に。
こうして実際に「やります」と宣言してやってみて、その結果「やめます」と宣言してやめること。
そこもひとつ、重要な気がする。

[日記]有言実行から不言不実行のグラデーションにも書いてみたんだけれど。
考えてみて、誰にも言わず、そして実行しないのは本当にダメだと思う。
でも僕は、言葉にして表明してみてやってみて、その上でやめる方が…、黙って自分だけ動いてみて、黙ってやめることにする「すべてを無にする」よりも数億倍、良いと思う。

そんなようなことを、今日(2022年8月31日)配信分のProject One-Size Podcast ラジオ でもおしゃべりしてみたので、そちらも聴いてみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました