アルビノ・エンターテイナーという存在について

(この記事は、 粕谷幸司|note に投稿した過去の記事を移植・加筆修正したものです。)

僕は2011年~2014年ごろ、NPO法人マイフェイス・マイスタイルという団体で「見た目問題」の啓発活動をしていたのですが。

それまで、自分の生まれ持つアルビノについて

 生まれつき、体内のメラニン色素を生成する能力が無い(または極端に少ない)遺伝子疾患。
 体毛や皮膚など全身の色が極端に薄い見た目に特徴がある。弱視・羞明など視力が弱いことが多い。

…のような説明をすると。
「あらあ~、かわいそうねえ」
「小さいころは“やっぱり”いじめられたんでしょう?」
「就職も難しいでしょうねえ」
「(生きるの)大変だと思いますが、がんばってくださいね」
と、ほとんど毎回、言われていました。

正直、これがすごく嫌でした。
まるで「普通の人より劣っていますね」と言われているような。
まるで「いじめられるべき存在ですね」と思われているような。
まるで「一緒に働きたくない存在です」と選別されているような。
まるで「幸せに生きられないですよ」と、烙印を押されたような。

アルビノだというだけで、どうしてそんな目で見られるんだろう?と。

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とあるパイオニアの話

かつて、IT系企業で広報マンをしていたころ。

ウチが最初につくり出したモノが、他社にマネられて、しかもそちらの方が売れている。

そんな実状に意気消沈していた僕らに、当時の社長が言ってくれました。

「無いモノをつくり出すより、有るモノをイジる方がカンタンに決まってる。
 だから1番より、2番・3番…の方がウマくデキるのが当然なんだ。
 だから僕らは、最初につくり出したことを誇るべきだし、マネたくなる良いモノをつくり出した証明をしてもらえたと思おう。」

誰かが拓いた道を歩くのは、安全で確実にカンタンな方法。
だから自分が「道を歩く者」の時は、道の選び方を丁寧にする。

自分が道を拓いていく時は、とても厳しくムズカシく思う。
けれど誰かが、いずれその道を歩く時こそ、自分が拓いた道が報われること。

開拓者、革新者、先駆者であるなら追われる者であれ。

…そんなことを、最近ふと、思い返して感じます。