(この記事は、 粕谷幸司|note に投稿した過去の記事を移植・加筆修正したものです。)
2019/08/22 23:29
なぜ、協力することで、より大きな成果を生み出せることを、いつまでも理解できないのだろうか。
勝ちと負け、正と誤、上と下…、どちらかが笑い、どちらかが泣く。
争い合い奪い合う愚かさを、現代でもなお理解できないというのか。
互いを認め、個性を活かし、補い合える世界はまだ遠いのか。
2019/08/23 23:11
自分よりできる人を見て悔しがれるのは、なんと素晴らしいことか。
その人はもはや目標だ。
「あんなふうにできるようになりたい」と思うからこそ悔しいのだから。
羨ましいと思うのだから。
全く憧れない人は、スゴいなあとは思うけど、悔しくもなんともないもの。
羨ましくもないのだから。
2019/08/25 13:21
好奇心、知識欲のようなものは「持っている」とか「知っている」という、専有感や優越感とかの結果を求めているんだと勘違いしてしまわないように気をつけたい。
「知らない」ことに気づき、知りたい、解りたいとウズウズする気持ち。未知に触れ、知ることで成長する自分の気持ち良さが、本当の価値。
2019/08/26 23:54
究極的には、幸せはいつも自分の中にある。
家で何もしない、が幸せな人もいる。
目一杯、遊び回るのが幸せな人も。
貯金をたくさんしたい、のも良いし。
派手にお金を使うのも、悪くはない。
仕事ばかりが幸せ、ってのもアリ。
パァッと酒を飲みたい、ってのも。
誰かに何か言われようが。
2019/08/27 19:29
少し悪いことをして、眼前の小銭を手に入れて、それで酒を飲めたとしても、旨くないと思うんだなあ〜。
それの延長で、大きな悪いことをして、眼前の大金を手に入れて、立派な何かを身に着けても、格好悪いと思うんだなあ〜。
例えばだけど、ズタボロで食えない生活でも、正義は自分の内にあるぜ。
2019/08/28 23:20
みんなが当たり前のようにできていることを
自分はできない…としても
それだけで絶望してしまわないでいい
もしかしたら
みんなが全然できないことが
自分にならできるかも知れないし
みんなが当たり前のようにしているからといって
自分もしなければいけない…とは限らないのだから
2019/08/29 02:23
誰かの真似はしたくない
表現者として志高くは悪くはないけど
自分を呪わないように願う
誰かに先を越されていようが
良いものは良いと認めてあげて
自分もやれるならやれば良い
本当の意味で
誰もしていないことは
すべきでないからしていないし
そもそも無いんだから
そんなものは
2019/08/30 17:09
やるときは、やる。
…それは今ではないのか?
本気を出せば、できる。
…本気を出さない理由なんてあるか?
今できることを、本気を出して、今やればいい。
できないことを、無理してやれ、とは思わない。
できないことは、置いといて。
できることを本気を出して、やりたいようにやる。
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