7年毎日ちまちま続けていた手書きの日記を今年やめたという話

7年分の日記 日記
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小学生のころ夏休みの宿題にあった、絵日記のようなものも、特に好きじゃなかった。
8月の終わりごろに大慌てで、ものすごく雑にやっつけて提出したような記憶がおぼろげにある。

手元に現存している自分の最古の日記は、2002年1月〜のもの。
その当時『チーズはどこへ消えた?』という書籍がベストセラーになっていて、18歳当時の僕は、何だか妙にハマり、いわゆる二次創作というか、大いにオマージュした文章をメルマガでほそぼそと発表していたりした。
その書籍の関連企画のような感じで「マイ・ストーリーブック」という、文庫本サイズで中身は365ページの日記帳で…「あなたの日記が一冊の本に!」みたいな、今思うとなかなか…変わった商品が出ていたのを買い、毎日せっせと書いていた。

チーズはどこへ消えた?
マイ・ストーリーブック

その次の現存する僕の日記は、ずーっと飛んで2016年4月〜のものになる。

というのも上記の最初の日記は、その企画性で楽しく完走したけれど…、大学生活を楽しみ出した2003年ごろは、スケジュール管理用の手帳を持っていたし、脚本家になるべく勉強していた流れでネタ帳というかアイデアノートのようなものも持っていたし。
日々の出来事は、それらに書き込んで記録していたから…わざわざ別の日記をつけようとは思わなかった気がする。

じきにブログを書くブームが来たり、日記機能もあったSNSのはしりのようなmixiが流行ったりして…。
僕が社会人になってからも「発信する日記」としてブログこそ書いていたけれど「誰にも見せない日記」として手書きのものを始めはしなかった。
そのうちTwitterが到来し(当時は「マイクロブログ」と呼ばれていたりもして…)、概念として「日記=ウェブログ」のようになっていた。

日記を書く習慣のはじまり

2016年に、改めて日記を始めた理由が何かあった気がするけれど…今となっては憶えていない。
そのころたまたま目にした「能率 王様のブランチ×ペイジェム 手帳」が、ただ可愛かったからかもしれない。

当時はもう仕事のスケジュールをGoogleカレンダーなどで管理していたから、紙の手帳は持っていたけれどメモ的な用途が主になっていた気がするし…。

あ…、でもその直前の3月に僕は当時の仕事を辞めたから…。

新しく普段遣いするための手帳を買ったけど、仕事で完全に不要になって…「じゃあ日記にするか」的な、しょーもない動機だったのかも知れない。

結果的に、この年にはユニット Project One-Size が10周年ということでイベントを企画していたし、当時相方の声優:中澤まさともがフリーになり、その期間のマネジャー業務もしたりして。
色々な、大きな出来事があったから、1年間日記を書いてみて、有意義に感じた…ような気がしてきた。

そこから丸7年間…、僕は毎日ちまちま日記を書き続けていた。


2023年3月当時、僕は『3年日記』の2年目の終わりを迎えていた。

その当時…、仕事を(また)辞めて1年が過ぎて。
2021年に「辞めたい、辞めてやる」と書き続けていた毎日を眺めながら、
2022年に「毎日が退屈だ、何とかしなければ」と毎日書き続けてみて…。

ふと、日記自体やめてしまおうと思った。

もうすぐ通算600回!?何か記念に企画しようよ
さて、暖かくなってきましたし。整理整頓、してますか?何かを手放し、自由を手に入れてみませんか? 粕谷は急に…、何年も毎日書き続けてきた“日記の習慣”を、やめてしまうことにしました。 日記を書くことについてのアツい思いを込めたトーク、ぜひお聴

日記をやめて起きた変化

2023年4月から、毎晩、寝付きがとても良くなった。

というのも、それまで僕は「消灯して、デスクライトだけ点けて、今日の日記を書いて眠る」ルーティンで、7年くらい生きてきていた。
けれど、そのほとんどは「今日もしんどかった」記録を残し続けていたわけで…。
寝る前に駄目な自分と向き合って、わざわざ落ち込むという繰り返しが、自分で自分を追い込み続けていたことに、やめたその日に気付いたのだった。

生活は、全く改善できていない。
そんな自分から、日記をやめたことで少しだけ目を逸らせるということが、こんなに眠りの質を改善できるだなんて…!
日課として7年も日記を書き続けていた僕は想像だにしていなかった。

そうして、日記をやめて3ヶ月が経ち、落ち着いて今、思う。

日記を書くことを否定するつもりは全く無い
僕も毎日7年間も書き続けていて、本当にすっかり習慣化していたし、その間は何かしらの理由で日記を書けない状況(泊まりの仕事とか泥酔してしまったとか…)だと、かなり気持ち悪く思ったりするほどだった。

ただ…、あまりにも何もない日を「毎日書くものだから」と自分に課したルールに縛られて書き連ねているとしたら、今すぐにやめてしまうのをおすすめする。

毎日が思い出深い日々だと良いな…と思って書く毎日日記は良いとは思う。
けれど…惰性で続けているのだとしたら、一回その「毎日書く」という呪いは、解放してみて欲しい。

駄目な自分を文字にして紙と記憶に刻み込むことは、本当に苦しいから…。

けれどここで、あえて「毎日じゃないなら」日記を書くのも悪くないよ、とはお伝えしておきたい。

たとえば、良いことがあった日にだけ書く「良いこと日記」とか。
たとえば、子供の成長を忘れたくないから書く「成長観察日記」とか。
たとえば…どうしても消化できない怒りなんかを書き殴って少しでも消化する「デスノート」的なものとか…?

とにかく、ある種の条件付けをした日記は、面白いから良いと思う。
それはつまり、毎日日記ではなくて、いわゆるネタ帳であったり、記憶の保管庫だったり、廃棄物処理場になったりするから。

そう…、僕が本当に痛感したのは「何もないのに毎日(自分ルールだから)書かなくちゃいけない」ことに、苦痛を感じていたんだ。

そこまできて、また新たに気付いたことがある。

日記を書くなら「そのあとどうするか」目的を持とう

日記は「ずっととっておく」か「さっさと捨てる」かの2択をハッキリさせておくのが良い。

たとえば「良いこと日記」なら、死ぬまでずっと持っていても良いじゃないか。
しかも書く時は毎回、読み返すことを想定して丁寧に書く。
それなら、1冊、2冊…と増えていくほどに、自分の人生がとても素晴らしいもののように思えて、幸せになれそうだ。

たとえば「成長観察日記」なら、いつか子供にプレゼントしよう、なんて思っても良い。
今はスマホで撮った写真も動画も、ある程度ずっと保管しておけるから、思い出アルバムもつくりやすいけれど。
「君が小さい頃にこんなことがあってね…」なんてエピソードトークは、忘れてしまうには惜しすぎるわけで。
子供に読ませるという目的を付加することで、かけがえのない大切な1冊が仕上がりそうじゃないか。

たとえば…デスノート的なものは、書いて吐き出すことでその役割は成立しているから、書いてスッキリしたらシュレッダーにかけてしまうのも、気持ちの整理として良さそうだ。
いつまでも、その黒い気持ちごと保存しておくと、あまり良いことはない。
間違えて読み返したら、また鬱々とした感情が蘇ってしまうし。万が一、どこかに流出してしまったらマズい。非常に危ない。

それでいうと、毎日書くと決めた日記は、何かあっても何もなくても毎日書いて良い…けれど。
保管は2年とか決めて、毎年「3年前の日記は捨てる」というルールにしてみる。
そうすれば「何年も前の日記…内容は何もないけど捨てるに捨てられないな…」なんてためらって不要な過去を保持し続ける必要がなくなるし、ぶっちゃけ「自分が死んだ時に誰かに読まれたら嫌だなー!」なんて不安を抱えなくて済む。

そうだ、つまるところ一番ダメな日記というものが明確になった。

惰性で毎日ただ書いていること。
何も変化のない毎日を、文字にして記憶に刻みつけてしまうこと…。

これだけは本当に良くない。
書けば書くだけ「何者でもない自分」という、自分が一番向き合いたくない自分と向き合い続けることになる。

さらには、そんな恥ずかしい自分を書いたことで、捨てるに捨てられなくなる。
それは、冊数が増えるほどに目視で「せっかく書いてたのにもったいない…」という感情になってしまうし、仮に捨てようと思っても「どこかの誰かにうっかり拾われて読まれたらたまらない!」と思うもので。
シュレッダーにかけるか…(でも面倒臭い)、現代では自由に焚き火で燃やせるような場所も無いしな…、なんて、途方に暮れてしまう。

僕のように、いますぐあっさりやめてしまおう。
心が軽くなるから。

一方で、惰性でないのなら…日記はやっぱり、素晴らしいもののようにも思えてきた。

何らかの条件付け、意味付け、目的を持って書く日記は…他の何物にも代えがたい存在になる。

…もしかして、世の中の僕以外の人は、この真理とっくに気付いてた?
だとしたら早く知りたかったなー!!

日記を書くおすすめの人・書き方

さて、ここまで読んでいただいて「日記を書こう!」と思う人は、ほとんどいないと思うけれど。
あえて、これから日記を書くとするなら、おすすめの人と書き方がある。

毎日の目まぐるしい変化を記録したい人に【毎日日記】

子育てをしている友人たちを見ていると、本当に毎日ものすごく色んなことがあるんだなあ…と感じる。
また思い返せば、大学に入学して全てのことが新しかった1年間とか、就職活動に大忙しだった1年間とか、社会人1年生もまた、毎日が目まぐるしくて、素直に「何もない日なんて無い」毎日だった。

そんな日々は…、逆に「毎日が大盛り過ぎて忘れる」もの。
これは…少しもったいない。
だから、そうした「毎日、何かしら起きている人」には、ちゃんと【毎日日記】をおすすめしたい。

毎晩、寝る前などに1日を振り返って日記を書いておく。
それは、何年後かに自分で読み返してみたくなる、財産になると思う。

変わらない日常に…たまに面白いことがある人に【テーマ日記】

僕のように、仕事に就いたり辞めたり落ち着きがない人は置いておいて。
会社なり仕事に就いて、着実に毎日仕事をして、気付けば何年…という方には、毎日日記は本当におすすめしない。
自分の日常に向き合ってしまうことになるから。

けれど逆にそういう人は、日常の中にふいに起こる「ちょっと面白いこと」を何倍も楽しめるポテンシャルがあると思っていて。
そんな時に、そう「何かあった日にだけ書けば良い」ようなノートを日記代わりにするのが良さそうに思う。

年月日の枠がある、いわゆる日記帳はダメ。
真面目な人ほど「毎日書かなくちゃ…」と思ってしまうから。
だから、ただのノートを買って、表紙に自分なりのタイトルを書いたりして。
何かあった日にはその年月日と内容を、自由形式で書くと良い。

書くことが無い日は、書かなくて良い。
書きたいことがたくさんあるなら、何ページでも書いて良い。
絵を描いても良いし、時にはポエムでも良いし…。

それくらい自由なノート日記なら…、自分にとって最高の「専用ネタ帳」になる。

そして…表現者なら堂々と【日記ブログ】

僕が辿り着いたのはココだったりして…。

結局、何かしらの表現者を自認して表現活動を続けていると…「誰にも見られることのない日記に意味なんてあるのか?」と思い始めたりする。
けれど前述の通り、思ったことを思い切り書き殴った内容なんて、誰かに見せられるわけないし、でも一種の「自分の表現物」に見えたりもして…捨てるに捨てられなくなる。

ならもういっそのこと、日記ブログを堂々と書いて良いんだ。

ひと昔前のブログブームだったころより、さらに時代は大きく変わって。
今はもう「知らない人のブログを偶然たまたま目にする」なんてことはほぼ皆無になった。
「ニュース」など情報を除いては、基本的にすべての閲覧者が「自分が見たいものを選択」して“それだけ”を見ている時代なのです。

これは…長くブログを続けている僕は、本当に痛感しています。
昔のように「たまたま見ました」なんてことが、ほぼ無くなりました。

だからこそ…もう、表現者も恐れること無いんです。
基本的には「読みたいと思う人しか読まない」んですから!
本当にささやかな、他愛ない日常を書いた日記ブログを書いていきましょうよ。

(もちろん、書きたいこと・書けること/書けないこと・書いてはいけないことの判断は、表現者として出来るわけですし…)

それが、たまたまバズったりしたら儲けもんじゃないですか〜!

結局…自分に合った日記を楽しく書いていこう

この記事もまた、長い僕の日記のように思えてきたけれど。

7年も「何もない日々でも習慣という自分ルールで毎日日記を書き続ける」のを、やめてみたら。
別の形で自分に合った日記を楽しく書きたくなってきた

でも…間違った形を選ぶととんでもない苦痛になることは、僕が痛感して見えたので。

それぞれの、書きたい・書きやすい日記を、楽しめる形で楽しく書いていきませんか。

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