「死ぬ気になれば何でもできる」というフレーズに、いつからか小さな違和感をおぼえてる。
大体このフレーズが使われるのは、しんどくてしんどくて、もう無理だーと思うときに“他者から”じゃない?
死ぬ気になれば何でもできるんだから…どんなにツラくて無理でも頑張れよ、みたいな言われ方をすることが、多い(ような気がする)。
けどねえ〜、死ぬ気になってまでやることなのかな?と、考える余裕が無い状況で「死ぬ気になれば…」とさらに追い込むのってどうなんだろうねえ。
今の時代、体が丈夫でも心が壊れてしまうのは良くないと、ちゃんと浸透してきているし、理解されてきているし、当たり前になるべきだと思うから。
むしろこの言葉は、自分の心身を護るために、大切な人を壊してしまわないために。
「死ぬ気になれば何でもできる。」
学校だって死ぬよりは行かないで良いし、会社だって死ぬよりは休んだって辞めたって良いし、家庭だって死ぬよりは離れてしまって良いし。
死ぬ気になれば、自分の心身を護るために、そこから逃げることもできる。
という意味で、このフレーズを使えるようになれると、良いねえ。
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