どうも!
「僕は、このアルビノを悲劇にしない。」
アルビノ・エンターテイナー:粕谷幸司(@KASUYA_net)です。
毎年6月13日は、国連が制定した国際アルビニズム啓発デーです!
この機会に、人間のアルビノ、アルビニズムな日本人についても知って、一緒に考えてみませんか?
― International Albinism Awareness Day ―
※ヒト以外の動物のアルビノについては今回は言及しません。
アルビニズムとは
アルビノじゃない普通の人は、体内に色素を生成する能力を持っています。
日焼けをすると肌が茶色く・黒くなるのは、色素を生成する能力があるからです。
また、茶色や黒の髪色だとわかりやすいですが、それ以外の体毛の色についても基本的には、体内で生成される色素で色づいています。
しかし、アルビニズムな僕らは生まれつき、そのような体内に色素を生成する能力が無い(または極端に少ない)のです。
遺伝子疾患であることがわかっているこの症状は、日本では2万人に1人くらいの確率で生まれてくると言われています。
実際に、僕はアルビノとして生まれましたが、2人の兄も両親も祖父母も姪にも甥にも…、見渡す限り親族にアルビノの人はいません(発症していません)。
太古の昔から脈々と受け継がれる遺伝子の中に僅かに存在するアルビノの因子が、偶然的に発動して生まれてくるのがアルビニズムだと言えるかと思います。
一番の特徴は「見た目の色」
冒頭の写真も僕自身なので、見てもらえればおわかりの通りですが。
生まれつき体内に色素をつくる能力が無いので、髪の毛・まゆ毛・まつ毛などの体毛が真っ白です。
また、瞳の色も黒色・茶色ではなく、光の当たり方などにもよりますが水色かグレーです。
この、こと日本人の中では特別に目立つ見た目が、大きな特徴です。
この特徴は、国やコミュニティの性質によって、大きな問題になることがあります。
国連がこの国際アルビニズム啓発デーを制定したのも、この見た目の特徴からの差別や、迷信を起因とする事件などが世界中の問題であるからです。
日本という国の、日本人という国民性でも、また特殊な問題があります。
近年では「地毛証明」などの問題でもニュースで取り上げられたりしていますが、この国には「黒髪・黒目が日本人の標準・正統だ」というような概念が根付いています。
そこから、髪を脱色・染色することが不良・反抗の象徴のようになっていたこともあり、今もなお、その古い常識というか前時代的な考えを変えられない人々の中には、生まれつき黒色ではない髪の毛の日本人を理解することが出来ない人・制度が残っています。
見た目による問題
いま現在も、時代は変わり続けている過渡期です。
これから、多くの問題が解決されていくはずだと、僕は信じています。
…が、これまでには日本でも、アルビノとして生まれその見た目が大いに異色だということから
- (親や周囲の)情報不足から幼児期に浴びる心無い言葉や視線
- 就学期の孤立・いじめ
- 就職活動での偏見・差別といった困難
- 恋愛・結婚の際の相手家族の理解
- 妊娠・出産時の遺伝子疾患という不明確な不安
…などといった様々な問題が存在しています。
併せ持つ眼の症状
アルビニズムはそういった見た目問題の他にも、身体的な症状を併せ持つことが多くあります。
メラニン色素を生成できない(またはわずかしかできない)ことから、日焼けのダメージが大きく、火傷の症状が強く出てしまうのは想像しやすいと思います。
しかしアルビニズムで生きていく上で、日焼けしてはならないこと以上に生活に直結するのが眼の症状です。
生まれ持っての黄斑低形成から、メガネやコンタクトレンズで矯正視力も上げられない弱視は、程度にもよりますが視覚障害(視力障害)で、日常に様々な苦労があります。
眼球にも色素を持たない(または極端に少ない)ことから、普通の人より過剰に眩しく感じてしまう羞明も、アルビノの人の多くが持っている症状のひとつです。
また、因果関係が解明されているわけではありませんが、眼球が意思と関係ない方に向いてしまう斜視や、無意識に震えているように動いてしまう眼振(眼球振盪)もあります。
「眼の見た目」で生じる誤解
差別ではないものの偏見と思われる事象が、こうした眼の症状から生じることがあります。
普通の人にとって「矯正視力が上げられない弱視」がうまく理解できないことが多いようで。
僕自身も少年期に大人から「見えないならメガネかけろ」と言われたことがあります。
「メガネをかけても見えません」という感覚的なものを、わかってもらえないのは悔しさすらありましたね…。
羞明においても、普通の人にこの眩しさを理解してもらうことは不可能だとも思えます。
実際僕は、自分の眼の一番良い状態を探した結果、室内でも、夜の屋外でも帽子を被っています。
そう、室内のただの蛍光灯の明かりも、夜の屋外のちょっとした街灯や看板を照らす照明も、眩しいと感じることが多いからです。
けれど、特に日本では「脱帽しないのは失礼だ」というような形のない常識が根付いているので。
自分の眼が一番良い状態で過ごしているだけで、対面する人に悪い印象を抱かれてしまうことは、生きづらさだと感じます。
挙げ句、自分の意図しない方に眼球が向いていれば「目を逸らすな」と言われたり気味悪がられたり、無意識で眼が揺れていれば「動揺して目が泳いでる」と言われたり理不尽に詰められたり。
知識として知らない人を責めても仕方がないのですが…、ただ、そこに自分らしく生きているアルビノな僕らを言葉や行動で否定されるのは、本当に悲しいこと。
僕はそうして、たくさんの人のことを嫌いになってきてしまいましたし、多くの人と距離を取り、結果的に孤立していたりします。
余談ですが、僕が人の目を見て話すのが苦手なのは、これまでのそうした「目を見られることで受ける残念な言葉たち」から身をかわすためだったりもします。
アルビノの日本人の未来
国際アルビニズム啓発デーは、アルビノの人々に対する攻撃と差別を防止するために、社会的や医学的にも存在する誤解をなくすべく、啓発をし理解を拡げていくことを目的として制定されています。
さて。
アルビニズムな僕たちは、これを読んでくれたあなたと一緒に、これからの日本をどう生きていきましょうか。
当事者も社会も制度も一緒に
これまでも、これからも、みんな一生懸命に生きていきます。
その世界の中で、マイノリティなアルビニズム当事者は、普通の人より不得手なことがあります。
見た目の違い、日焼けしてはいけない生活、様々な眼の症状。
それらは、遺伝子疾患であるがゆえに「治療して解決する」ことは出来ないでしょう。
アルビノの人として生まれてから死ぬまで、それが自分であることは変わらないです。
本人としては、普通の人が普通に出来ることが出来ないとか、普通の人より余計に苦労しなければいけないことは、とても生きにくいです…ね。
けれど、頑張ることをやめることは出来ないと思うのです。
それこそ、アルビノでなくても、何かしらの生きにくさを抱えて生きているんです、みんな。
だから、しんどい時は休みながら…けど、これからも、なんとか頑張って生きていきましょう。
幸せに生きていくために、自分の人生のために、努力はもちろんしていきましょう。
一方で社会を形成するマジョリティは、そうした本人の頑張りだけを見て「応援しましょう」で傍観している場合ではないのです。
同じ世界を共に生きている存在として「何が出来るのか」を考えてみて欲しいのです。
たとえば、お子さんに「世の中には生まれつき黒くないアルビニズムという日本人もいるのよ」と、話し聞かせてみてください。
身近にアルビノの人が居なくても、いやむしろ居ないならなおさら、知識・情報として教えておいて良いんです。
その子が、いつかどこかでアルビノの人と会った時・見かけた時に「得体の知れない存在」と思うのではなくて「前に『こういう人もいる』って聞いたことがあるな…」と思うことが出来れば。
そこから、世界は変わり始めます。
他にもたとえば、シンプルに「人を見た目で差別したり、ましてやいじめなんてことはダメだ」という思いがあれば、発信してみたり、差別禁止法の動向に関心を寄せてみたり。
たとえば、アルビノの人と出会い、好きだと思ったら勇気を出して告白してみるとか、付き合ってみるとか。普通の人と比べたら苦労はあるかも知れない…けど、愛があれば問題じゃないと証明してみるとか。
そうだ、このブログを読んだこととか、粕谷幸司というアルビノ・エンターテイナーのことをSNSでフォロー・推してみることも、世界を少し変えていけるアクションのひとつだと思います。
…少し冗談ですが割と真面目です。
まず大切なのは、いま知らない人が知るきっかけを生み出すこと。
アルビニズムという存在そのものを知らない人が、たまたまアルビノの人と出会った瞬間にすべてを理解するなんて不可能なのは当たり前ですから。
ふとしたきっかけでも、些細でも、その始まりを生み出せたら。
少し世界が、良い方へ変わっていけると思うのです。
そこから、出来ることをしてみること。
法律や社会や組織を、1人の人がガラッと変えることは出来ません。
けれど、無料の署名活動でも、何かしらのボランティア活動でも、自分が属しているコミュニティで話題にしてみるだけでも。
出来そうもないことをやろうとして無理をするのは違うと思いますが、いま自分が出来ることを考えてみて、やってみるだけで。
すぐにではなくてもいつか、未来のどこかに繋がる変化の始まりになります。
そう。
世界はいますぐに変えられないけれど。
いつか変えられる世界のために、いま出来ることをやり始めてみる。
そのひとつとして、今回ここまでお読みいただいて、ありがとうございました。
もう変わり始めている世界。
いまからみらい、もっともっと、よりよい方へ。
コメント