アルビノの日本人の僕が見てきた、日本におけるアルビノの、およそ20年の歴史。

粕谷幸司 中学校の卒業文集 アルビノ(アルビニズム)
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1998年、国内インターネット利用人口が1,000万人を突破。
それから20年。2018年ではインターネット利用人口は1億人を超え、日本人のほとんどがインターネットを利用しています。

2008年、iPhoneが日本で発売開始。Androidスマートフォンは翌年の2009年から日本で発売。
それから10年。現在ではインターネット利用は「パソコン」より「スマホ・タブレット端末」の方が多くなりました。

現在では当たり前のモノも、ほんの10年、20年の間に生まれ、浸透していくように普及しただけだったりします。
逆を言えば、10年・20年前に当たり前だったことは大昔の古い記憶となり、そのころには夢にも信じられなかったことが、現代ではまったく当たり前に実現していたりします。

時代は、変わる。

2009年 MFMS アルビノ 粕谷幸司

僕が会社員になり、「見た目問題」解決NPO法人マイフェイス・マイスタイルに関わり始めたころ。
日本には「アルビノ」という存在を広く認知させる勢いのある人や団体は、ほぼ皆無でした。

それまでは、1998年に“こんこん”さんという1人の女性が立ち上げた『アルビノのページ』というWebサイト(2018年 完全閉鎖)だけが、日本人のアルビノについての唯一の情報源でした。

どうですか?日本人なのですが、少し違うかなって思いませんか?

髪の毛が白いですよね。
よく見ると、肌の色も白人のように白いのです。
親である私たちは、ごく普通の日本人です。それなのに...

(『アルビノのページ』の冒頭文より)

粕谷幸司 中学校の卒業文集

僕は中学校の卒業文集(平成十年度)で、自分について書こうと思い立ち、この症状を書籍『家庭の医学』(だったと思う)の索引から探し出し、先天性白皮症なんだと突き止めましたが。
それまではその呼称も知らず、人にも「生まれつき髪も肌も真っ白で瞳が青いんだ」としか説明できませんでした。
(※現代では疾患をアルビニズム、日本語では眼皮膚白皮症という表記が多くなりました)

けれどそこからも、それ以上の情報は得ることもなく(というか有るとも思わず)しばらく暮らしました。
実際に、誰もまともには情報発信をしていませんでしたし、インターネットというメディアもまだまだ成熟しておらず、コレがアルビノであると結びつけるモノが、存在しなかったのだと思います。

そんな僕にとっての転機は、大学生のころ。
ふとしたきっかけでアルビノという言葉を知りました。
「粕谷さんって、アルビノなんでしょ?」って。
そして僕は…「アルビノ?…っていうの?」と。

先天性白皮症ではなくて、横文字の、少しクールな、アルビノという言葉。

早速ネットで「アルビノ」と検索しました。(たぶん当時はYahoo! JAPANで)
そして辿り着けたのが「アルビノのページ」だったのです。

掲示板やメーリングリストで交流がおこなわれていることも、日本にもわりとアルビノの人がいるということも、ここから知ることになります。
そう…、アルビノという言葉との出会いこそが、僕の始まりでした。

2007年、「アルビノのページ」に身を寄せていた数人が実際に話し合い、もっとインターネットでの情報発信を強く、広く繋がるコミュニティをつくろう!と、気持ち先行で日本アルビニズムネットワーク《JAN》が立ち上がりました。
その当時は本当に、自分たち以外には誰もいないんじゃないかと思うほど、軸も基盤も無くて、ただ、だだっ広い海に向かって思いを叫び続けているようでした。

程なくして、僕はNPO法人マイフェイス・マイスタイルに参加し始め、それまでになかった情報発信を、僕なりの…僕だから出来る表現をし続けていく中で、キャッチフレーズ「僕は、このアルビノを悲劇にしない。」を打ち出しつつアルビノ・エンターテイナーと名乗り出すのです。

僕は、このアルビノを悲劇にしない。

というのも。
情報発信をしていく中で、世に散在していて触れられたものは当時「日光を浴びると死ぬ」とか「目がほとんど見えない」だとか、もしくは「学校でも会社でもいじめられる」「まともには生きられない」だとかいう、酷い話ばかりだったのです。
暗い。キツい。
しかもそのころから、インターネット上ではアフリカでのアルビノ殺人事件が「アルビノ狩り」というパワーワードで少し注目され始めて…。

このままでは、そんな情報ばかりが知れ渡っては、アルビノの日本人に楽しく豊かな未来がないじゃないか。
日本人はただでさえ障害者への理解も含めて臆病で、狭いコミュニティ社会での「違う人」を苦手とし、排除ではない良い方の行動でも「可哀想がる」傾向が強い。
そこでそんなネガティブイメージだけが広まったら、僕だけじゃない日本人のアルビノみんなが楽しく豊かに生きられそうにない。
そんな風に思ったんです。

なので…、僕は。
「(どうせこのままではアルビノ=悲劇として知られ語られてしまうんだから)僕は、このアルビノを悲劇にしない。」
という、カウンターカルチャーとしての意識を強く打ち出すために、キャッチフレーズをつくり、エンターテイナーと名乗りあげたのです。

写真素材 足成 日本人のアルビノモデル

2012年、アルビノという存在の認知をエンタメ方面から切り拓いていくひとつの足がかりをつくる!と企画を持ち込み、粕谷幸司【写真素材 足成:特集】を公開していただきました。
インターネットメディア、もっと言えばブログメディアが全盛となっていた時期。
特に画像や文章の無断転載(今で言うパクツイとか)が横行していて、発信者としては悩ましい時期でした。
“NAVER まとめ”にまとめられるのは嬉しい反面、引用元がグチャグチャで、僕のブログから画像を無断転載したどこかの誰かのアフィリエイトブログが引用元とされていたり。
(今もなお無断転載・権利無視の酷い記事や動画が後を絶たないですが)
そんな時期でしたので、むしろ自由に使用できる写真素材としての画像を『足成』さんから提供・公開してもらうことが、僕のひとつのアクションでした。

時同じくして2012年ごろ、インターネット上では密かな変革が起きていました。
ここまでお読みの方はもうご存知だと思いますが、きみちゃん(当時は「ナスチャ」名義で発信)の出現です。
美しすぎるアルビノ少女」「エルフの女王」という強すぎるフレーズを引っさげ、アニメ好きで日本大好きコスプレもしちゃうという、日本人のツボを押さえまくった存在から、日本の中で一番有名なアルビノ(ロシア人)になりました。

これが、翌年2013年に発売される日本で初めての、アルビノの日本人についてだけのルポタージュ『アルビノを生きる』と良い感じに相まって、アルビノという存在への意識を拡げていくことになります。

マスメディアには、僕をはじめ色んな角度からアルビノの人間の存在を取り上げてもらえるようになっていきました。
しかしまだまだ、アルビノの日本人が楽しく豊かに生きていける社会の構築には程遠く、しばらくは「どれだけ可哀想か選手権」みたいな時代が続きました。
日本のメディアは良くも悪くも慎重ではあるので、苦しみを抱える弱者をみんなで助けようという誰も傷つかないアプローチを最初にするのは素晴らしいことだと思いますし。

そんなメディアの発信からアルビノという存在をはじめて知り、そこから「…でもアルビノってキレイだよな?」と感じる人が増えていったのは。
このブログ KASUYA.net ではいまやトップコンテンツの日本人のアルビノの女性を、アルビノの僕が撮ってきたや、僕自身の写真を使ったSNS等の発信もありますが、やはり。
前述きみちゃんが、わりとパンクなキャラクターで、色々アレだと思えるようなこともシレッとやらかし続けていたからに他なりません。

呪術
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こうして、日本においてアルビノは、未知から認知、そして疾患カタログの1ページからコンテンツの1つへと、ゆっくり変化してきました。

『呪術』(初瀬 礼)では小説の題材として。
シンガーソングライターの伊禮恵-ireimegumi-(@irei_megumi)さんにとってはその歌・言葉となって。
モデルとして活動を始めたCHIHIRO(@chihiroalbino)さんは日本人のアルビノ女性モデルとして。
また、研究者の矢吹康夫(@yabukiya03)さんにとっては生涯の研究対象としても。

あれだけ何モノでもなくどこにも無いような存在だったアルビノは今、日本人の中にこうして確実に存在していることを実感できるほどに、なってきたのです。

もちろん、僕にとっても。

 

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今年は、日本財団が東京アルビニズム会議というのを開催するそうで。
アフリカのアルビノ狩りの問題解決に向けて、日本でも考えてみましょうという取り組み。

日本国内における日本人のアルビノについてすら基本的には何も解決してはいないのですが、人がどんどん関心を寄せ、真実に迫り、それぞれなりの行動を始めていけるようになったこと。

これが、アルビノの日本人の僕が見てきた、日本におけるアルビノの、およそ20年の歴史です。


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コメント

  1. ちはや より:

    こんにちは。はじめまして。ちはやと申します。小学校の教諭をしております。今年度1年生の担任になりました。入学式の日,保護者の中にアルビノの男性がいました。1週間たち,こどもたちについて少しずつ分かってきて,ある子のお父さんだとわかりました。その子は,私にニジマス釣りの話などを楽しそうに話してくれ,とても生き生きとした子です。これから,お父さんとお話する機会もあるかと思いました。私が失礼な態度をとってお父さんを傷つけることがないように,少しでも理解しておければとこちらに来ました。また,拝見させていただくかもしれません。情報発信をしてくださっていて,ありがとうございました。

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