[2017年版]明治大学ヒューマンライブラリーが今年も催されると聞いて

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夏が来ましたね…!

日照時間の長さ、薄着にならざるをえない暑さ。
見ている分には好きですが、やっぱり夏は苦手です。

こんにちわ!
真夏に生まれたアルビノの日本人と言えば…、粕谷幸司です。

さて。
日本では2009年ごろから始まり、僕も何度となく登場したヒューマンライブラリーという催し物が、今年も明治大学の国際日本学部・横田ゼミで11月26日(日)におこなわれるとの情報を入手しました。

メディア関係の皆さん、今のうちから目をつけておいても良いかも知れません…!

ところでこの「ヒューマンライブラリー」とは。

ヒューマンライブラリー(human library)は、障害者や社会的マイノリティを抱える人に対する偏見を減らし、相互理解を深めることを目的とした試み。「ヒューマンライブラリー」は、『人を本に見立てて読者に貸し出す図書館』という意味で、『読者(参加者)』と『本(障害者やマイノリティを持つ人)』とが一対一で対話をする。「リビングライブラリー」とも呼ばれる。

ヒューマンライブラリー – Wikipedia

ということで、何かしらマイノリティを持つ人を“本”に見立てて、普段・日常生活ではなかなか聞けないような人生の話なんかを、マイノリティではない人が“読者”となって聞ける、みたいな企画です。

ちなみに、僕が2016年に明治大学のヒューマンライブラリーに登場した時の模様をYouTubeにまとめて上げてありますので、サンプルがてら雰囲気をどうぞご覧ください。

さすがのアルビノ・エンターテイナーなのでソコソコにふざけていますが、イメージとしてはこんな感じですよ、という。

で、僕は今年も参加するかどうかは未だ決めないでいるのですが(というかそもそも正式にオファー受けてもいないので勝手に言い出してるだけおこがましい…)。

いま少し思うことを書き出しておこうと思います。

まずはね、すごいなあ、って思って。
明治大学 国際日本学部の横田先生。
出会った頃は教授でセンター長だったはずなんだけど、気付いたら学部長になってらした!
…ということではなくて。

やり続けているのがスゴい

2009年ごろから日本に入ってきたヒューマンライブラリー(旧名称:リビングライブラリー)なのですが。
数年間は「新しい試み」として、話題性もあって結構な勢いというか活気だったのです。

けれど、ブーム的なものというのは儚くて。
そういう「新しい=面白い」のは、そう長続きしないんですよね。
実際、もうここ数年では、そんなに話題にならない(少なくとも僕の耳には入ってこない)。
多分ほどんどの「やってみた」人・団体が、もうやめちゃってる。

そんな中、明治大学 横田ゼミは毎年やり続けて9年目じゃないですか?
本当に、すごいなあって、思うんです。

大学のゼミで企画することもあって、確かに普通の個人や有志団体よりは“毎年定期的に”実施しやすいとは思うんですけど。
それでも、わりと多くの「やってみた」だけで続かなかった他のところを考えると、まずは続けたことが、すごいじゃないっすか。

2012年に駒澤大学 社会学科 坪井ゼミがまとめたココロのバリアを溶かす―ヒューマンライブラリー事始めという、ヒューマンライブラリーの企画マニュアルのような書籍があるのですが、それを活かし・発展させ“続けていた”のは、この横田先生だけかも知れない。

…ともあれ、この企画はボランティア形式というか何というか、社会運動のような意識が根幹にあるので、営利目的での開催をしてはいけないルールがあって。
学校とか、良くて企業のCSR活動くらいでしか取り組めないので、企画側が継続的に取り組むエネルギーは尋常じゃないはずなんですよね。

…あ、シツレイ。
記事を書きながら調べていたら、地道にコツコツ続けてらっしゃる方も見受けられました。
ので、横田ゼミ“だけ”じゃないです!が…。

やはり、第一線で動き・つくり続けているのは、間違いなく明治大学の横田ゼミだろうとは思うので、続けます。

僕ならもっと「拡げたい」

これは企画ひとつに限らずですが、最近よく思っていることなんです。
まずは、やめちゃったら、もうオシマイ。夢を追うにしても、続けていればチャンスがあるかも知れないと思えないこともないけれど、やめちゃったら、絶対に何もナイ。
だから、やり続けることは先ず、とても大切だなあ、と20歳を超えてから、そしてProject One-Sizeが10週年を迎えたころから、とてもとても感じていました。

けれど。まだまだもっともっと拡げないと。

日本のボランティア精神には、なんとなく違和感があって。
宗教的なものなのか、近代的な思想なのかわからないけれど。
「献身的に」「尽くしている」ことに意味を見出しちゃって、何のための“行動”なのか、ということが、わりと薄まる傾向にあるような気がするんです。

社会運動だって、辞書には「一定の社会的目標達成のために行われる集団的行為」と定義されているわけで。
何のためにしているのか、を強く意識したいなあ、と思う。

そして僕は、メッセージは「届けたい」と思うし、存在は「知ってほしい」し、もっともっと「拡がりたい」と思うから。
もっとメディアに取り上げさせるくらい発信する力とか。
多くの人が「いきたい!」と思う企画の告知センスとか。
「告知」「拡散」を見据えた動きを、大事にしたいなあ。

だってわざわざ出向く意味よ

上にも、僕がやったヒューマンライブラリーの動画を紹介しましたが。
いまや、ほとんどの知識・情報は、リテラシーさえあればインターネット上で手に入る時代。

本当に“直接会ってしか得られないモノ”とは何か。
それを考えているか、感じているか、実現しようと思っているか。
そこら辺が、いまからみらいを見ているかが、重要だと思ってるんだ。

ヒューマンライブラリーに出るたびに、毎回考えていることなんだけれど。
本当に“ここでしか出来ないこと”って何だろう…?
僕がインターネット上に出してる文章や動画で、情報や知識は事足りるとしたら。
話し手としても聞き手としても、ここでしか得られない経験、ここに出向く意味、を忘れないようにしないとなあ。

もうネット見ればわかる話なんて、わざわざ話す・聞く必要ない、とすると。
むしろ、クローズドを、もっと、どう活かすか。
ネットには上がってないこと…、ウラ話、キワどい話、ヤバい話、その瞬間でしか聞けない・話せないトークライブ感だったりするかな?

そして「どう楽しむか」

いろ~んなことを考えた上で。
結局は参加するとしたら「どう楽しむか」を自分の中で確立してから挑みたいよねえ。

本として、僕が出るなら…、
【出会い】・・僕と「会いたい」と思って来てくれる人との出会い、そして大学生たちとの出会いが何より楽しい。
【プロモ】・・企画の性質上なんとも難しいけれど、例えばこれが切欠でメディア関係の取材を受けたら僕のプロモーションにはなるし、たとえば出会えた方々が僕のTwitterをフォローしてくれたら嬉しい。
【みらい】・・僕がこれからも発信・表現し続けていく上で、人がドコを知りたがっているのか、とかを知る。その上で僕が、これからどのような角度から何を伝えていくのが良いかな、というのを肌感覚で確認できる機会としては面白い。
…っていう感じかな。

 
今度、そんな明治大学ヒューマンライブラリーの懇親会みたいのがあるらしいので。
僕はそんな「継続性」「拡散性」「普遍性」あたりを、横田先生と話して来たいと思ってます!(笑)
継続性という意味では、リピーターを掴めるかどうか、とか。出る側としても、くり返し出ることの意味とか。
拡散性や普遍性としては、使い捨てみたいにTwitterアカウントとWebページを毎年つくるよりは、明治大学ヒューマンライブラリーの公式Webサイトをきちんとひとつ確立して、それを毎年ゼミ生が「受け継ぐ」ような感じが良い、と思ってます!とか。

もっともっと、何かできる、面白くできる企画だと思うので。
ヒューマンライブラリーについて勝手に考えてしまう僕なのです。

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