(この記事は、過去に運営していたブログ『彩り my life』の記事を移植したものです)
「よく本名や顔をインターネット上に晒せるね。よっぽどナルシストなのか?」
とか、けっこう言われる。
「アルビノも含めて、自分が好きなんだろうね。」
とか言われることも多い。
それについては否定しないけれど(自分のことキライなわけじゃないし)。
けれども特別に好き、大好き!というわけでもない。
表現することや、なにかひとつでも伝えようとすることが好きなだけ。
『マイ・フェイス』に連載してる僕のコラムに、色んなことを書いてきた。
2010年4月の創刊号「アルビノは聖人みたいに育つ」では、生まれつき目立つアルビノとして、その育ち方を書いた。
普通にしていても「普通じゃない」という、生まれたときからの自分を捉えたうえで、自己紹介がてら、僕が選んだ生き方について。
2010年7月の夏号(vol.002)では、「可能性は、等しく無限大」という珍妙なタイトルをつけて。
僕を、ある意味《自由》に育ててくれた親の話とか、アルビノは「劣っているのか」とか、そういう話を書いた。
2010年10月の秋号(vol.003)では、「“当たり前”を見つめ直す」だなんて超ド直球なテーマで、“普通の人”と“アルビノな僕”の違いについて、考えてみた。
世の中のほとんどの人が「そんなことはない!」と思いながらも持っているであろう「ガッチガチの先入観や固定概念」について、見つめ直してみたりして。
2011年1月の冬号(vol.004)では、なぜか赤裸々に僕自身の好みのタイプを暴露してみたりして。
そのうえで、見た目問題は「恋愛の妨げにはならない」というテーマ。
書き綴っていることは最終的に「自分が好きな人と愛し合おう」みたいなフツーのことなんだけど。
それを、見た目問題の当事者に向けてけっこうマジメに書いてみた。
そうして色々考えてみて。
やっぱり“アルビノであるということ”は、人生においてとっても大きなファクターなんだなぁと思う。
「弱点」とか「個性」とかいうんじゃなくて。
ただアルビノであるだけでも、ものごとの受け止め方が違ったり、アルビノだからこそ考え方や行動にも、ちょっとした差異が生まれるんだし。
だから、やっぱり僕は「アルビノで生まれたから、今がある」という結論になるのです。
だから、アルビノだから僕は、表現や伝えたいと思うことをするようになったということは、まったくもって否めないわけです。
そしてこれからも死ぬまでアルビノである僕は、やっぱり表現や伝えたいと思うことを辞めないだろうと思うのです。
総合情報誌『マイ・フェイス』読んでね~。
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