【2002年の日記】掘り起こされた恥ずかしくて懐かしくてほろ苦い青春の思い出

2002年の日記 チーズはどこへ消えた? マイ・ストーリー・ブック 日記
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大昔の日記も、後生大事に持ち続けていた僕だけれど。
ある意味で終活の1つというか…、いまからみらいをもっと生きていくために、整理整頓として処分することにした。

なにせ…どこまで生きるかいつ死ぬかわからない暮らしをしているし。
「老後の楽しみ」なんて、サブスク配信とかあれば充分だろうし。
うっかり死んだ後、誰かに読まれでもしたら恥ずかしいし。
創作活動のタネにしようにも…もう小昔すぎてなかなか使えないだろうし。
とすると、このままでは一生読み返すことが無いんだろうと思って…。

(「日記とは」みたいな話は、少し前に書いた記事をご参照ください。)

さて。
今回は2002年の日記。

僕が18歳の1月、ということは…高校3年生で卒業間近のころに書き始めたもの。
付属校から、放送部での大会成績などで積み重ねた色々のおかげもあり、なんとか第一志望の日本大学芸術学部へ進学が決まり、未来への希望しかなかった時期。
激変していくだろう1年の記録として毎日日記を書いていた…(のだろう)。

21年も経った今、そんな自分の日記を読み返すのは、少し楽しみだ。
何せ、ほとんどのことは忘れているし。
けど、何か面白いことばかりあったような気もするし!

そうしてこのブログに書き起こしたら、現物の日記は燃やすごみに出しました。

高校卒業

1月―色んなことが難しいと感じて悩んでいたりもした

前年に、2人の少女と色々あったことを思い返すところから、日記が始まっていた。
北海道の子と、当時流行っていたホームページのチャットルームで知り合って、なんとなく付き合うことになって…、メールしたり文通したり、遠距離恋愛という特殊な青春を、大いにときめいて過ごしていた。

一人称が「オレ」なのも、懐かしくてむず痒い。
(その後「僕」に変えて今に至る)

TVアニメ『彼氏彼女の事情』を見て、自分の恋愛について思い悩んでみたりして。
「恋愛は僕を成長させてくれるが、その分悩ませてもくれる。」なんて書き残してる…。

…そういえばそうか。
この当時はスマホでもなかったし、LINEも無かったんだな!

今なら遠距離恋愛だって、ビデオ通話したりしてもう少しちゃんと、出来ただろうに…。
あと電話代がヤバかった記憶が蘇ってきた…。親に申し訳なかった…。

Project Yamakenというチームに参加して、自主制作映画を撮っていたりした。
そこでも2人の、年上の女性と知り合って…、もう、男子校で欠乏していたものがたまらなかったんだろうな!
悶々としていたりした。

地元の友だちとも遊んでいたし、放送部の後輩ともファミレスで飯を食ったり、お泊まりに行ってみたり、池袋でラーメン屋に行ったり。
とにかく大学進学を決めて、うまく青春出来なかった男子校生活を締めくくりたくて、遊べるだけ遊ぼうとしていたんだなー。

高校放送部のウルサイ系OBが、まぁ〜嫌いで(笑)。
やっと解放されるって清々してたな〜。
(後輩たちも部活ヤメたがっててウケるー)

そんな日々に時々「オレは考えすぎだな…」って。
18の頃から今までずーっと変わってねえな!

そう言えば当時も、Yahoo!ジオシティーズでホームページ運営してて。
思い返したくないほど拙いながらも創作小説のようなもの書いたりしてたな〜。

それから今まで、趣味の独学でずーっと、Webサイトを作ってコンテンツを発信し続けてるんだな…。
(具体的には高校1年のころからだったと思うけど)

2月―夜中まで何するわけでもなく起きていて心をすり減らす

夜遊びとかしまくってて、親に怒られたりしてる。
たしかに、高校3年生で、電車で東京に出て夜遅くまで遊んでたら…、それまでそんな素振りなかったのに急な不良的はしゃぎっぷりで親も心配するわな。

人生で初めてアルバイトに申し込んでみつつ「髪の毛が生まれつき白いんですけど」って説明して、すんなり断られたりしたことも思い出した。

そして何度も徹夜したって記録がある…。
何してたんだ?そんなにやることなんかあったかな…?
ホームページをいつもいじってたような気がするけど…。

そんな生活のせいか、メンタルがガタガタ。

やたら部活のOBに呼び出されてて…かわいそう!
僕は特に、現役生をやりづらくするOBという存在に、当時からかなり嫌気が差していたので。
後輩たちには「嫌ならヤメちゃえば良いよ」って言ってた気がする。

今でもそうだけど…、現役の時にやり切れなかったことがあるのか、自分の存在を確かめたいからか、とにかく卒業してからも高校の部活に「世話を焼くような顔」をして邪魔をしに来る厄介おじさんOBたちの気持ちが分からねえ。

3月―「別れ」周囲にも散々しゃべってどうにもならなかった

3月2日、卒業式。
特別な思いとかは、書いてない。

毎週末のように自主制作映画。
人生で初めてのアルバイトも始めてみた、18歳の春休み。
(その派遣系アルバイトは…わりとすぐにヤメたんだけど)
そのころからなんとなく自覚はしていた。
僕は「バイトしながら好きなことをする」ほど器用じゃない。やりたいこと“だけ”に集中していないとバランスを崩して全部が嫌になったりしちゃうんだよな…。

彼女(一応)のいる北海道へ。
オフ会という形で、向こうの少女たちにもてなされる(?)僕は…、周りの大人からはどう見えていたのだろう?
そして、同行した同級生が謎にモテて、僕の彼女をとられるという…。

僕がチャットで知り合って、付き合ったりして、北海道の女の子たちと仲良くしてるのを聞きつけたその同級生(友だち、と呼べるほどの間柄でもなかった)が「付いていきたい」と言い出したところからゴチャゴチャして変な展開になったんだよなー。

すごいかわいそう!!
でも…垢抜けない当時の中高生の恋愛なんて、そんなものなのかな〜。

ところで、実家から日芸の所沢キャンパスまで自転車ルートの下見をしたりしていたことも記録してあった。
視力の弱い僕を心配して、後ろから母親がついてきて。
恥ずかしいから強がってすごいスピードを出してみたりして…。
でも今思うと、自転車で何十分も、車道を走って自転車通学するのなんて…、アルビノの弱視の子をもつ親としては、心配で仕方ないに決まってるわな。

ところで、時々お酒を飲んでいるなどのような記述が…。
(もうさすがに時効ということで許してください)
当時からすぐ酔っ払っちゃってて、体質的に強くないんだよなーあの頃から。

遠距離恋愛は、別れちゃって相当ヘコんでるみたいで…。
モヤモヤずーっと考えてばかりで、かなりあとを引いていたみたい。
毎日のように、その当時の彼女たちとのことを書いていた。

その後を大きく変える大学入学

4月―トップギアで大学デビューは多分成功

4月8日、日本武道館で日本大学入学式。
地元の幼馴染みの女の子とも会って「あー同じ日大なんだ〜」なんて、照れくさがりながら始まった大学生活。

「女の子と話したい」「たくさん友だち欲しい」と、男子校3年間で抑圧されていたものが溢れ出すのをとめることなく。むしろ思い切り「キャラ変して大学デビューするぞ!」と覚悟を決めていた僕は。
高校卒業時に自己分析のようなことをして…【こんなに見た目が目立つから周りの人が話しかけ難いんだ!】との解釈から「向こうから話しかけられないんなら僕から話しかけよう!」と、とにかく近くの人に話しかけていくタイプに生まれ変わりを図っていた。

学校での新入生ガイダンスで、たまたま隣りに座っていた女の子に「何学科?」から話しかけて(たしかデザイン学科だった気がする)。その直後の学科別ガイダンス(僕は映画学科)に向かうさなかで、目の前にいた大柄の男の子(のちに仲良しの友だちになる)に話しかけて。

そのまま彼と連れ立ってサークルの新歓の机出しに立ち寄って、高校の先輩だという人とも話し(高校時代には全く面識なかったけれど相手は僕のことを認識してたよくあるパターン)。
演劇映画放送研究会という、とにかく何でもやれそうな会に入る。
そのまま居座っていたら、同じく新入生のクレオちゃん(仮名)から「放送部だったでしょ?Nコンで見たことある」と話しかけられたりして。
高校時代から「一方的に認識されていた(見られていた)んだな〜やっぱり」と確信もしたな〜。

少ししてから、同じ日芸にも高校の同級生が何人かいることにじわじわ気付く。
…とはいえ僕は高校時代に親交があったつもりはなく、でも僕のことを向こうは認識していたようで「同じ高校だよ、おぼえてない?」と話しかけられるたび、キャラ変して大学デビューを推し進めている身の上からも気恥ずかしく「いや、まあ…、あはは…」と誤魔化したりしていた。

それと、映画学科でガイダンス合宿みたいのがあった。そこでは人見知りも少し復活していたけれど、僕に話しかけてくれた同じ脚本コースのくらげちゃん(仮名)たちがいて、大変助かった気がする。

思い返すと本当に、積極的に自分から(かなりの覚悟で勇気を出して)話しかけて頑張っているのも高揚感あるけれど、話しかけて来てくれた人たちに救われてたなー。
とにかく目立つ僕自身を良い方向に受け容れ始めたというか、新しい人との付き合い方を見つけ出した大きな転換期だったな。
(僕も誰かにとって「話しかけてくれる人」でも在れたかな…)

連日「あのコと話した」「あのコとイイ感じ」って書き残してるの、本当に浮かれてて可愛いんだけど、キャラ変に必死な反動からか「疲れた」っとも書いてる。

陽キャになろうとしてみて、良かったこともたくさんあったな〜。

一方、終わってるはずの北海道の少女とも、かなり頻繁に連絡を取っている。
彼女をとった同級生が、ごちゃごちゃ揉めてるのを聞いたり、くっついたり離れたりしてる女の子たちの相談?にのってたり。

…いや何してんだろう自分。
どういうつもりなのよ、少女たち(笑)。

5月―変化の波を乗りこなそうと

サークルの合宿で、演劇に触れ始める。

この、サークルという新しいコミュニティに安心したのか、充実してきて…北海道の繋がりが若干面倒くさくなりはじめてる。
薄情だな、とも思うけれど…よく考えればやっぱり、別れてるはずの元彼女という遠距離のオトモダチのために、連日深夜に電話してたり、結局ゴールデンウィークに会いに行ってたりする僕の方が、お人好しも甚だしいというか痛々しいわ(笑)。
彼女たちにとって僕は何だったんだろうな…?
東京(埼玉だけど)にいる、少し年上の、仲良しか…。
でも、大抵いつでも電話してくれる、良い意味で拠り所になってたんなら、まあ良いか。

サークルでは3年上の先輩・稲葉さん(仮名)の演劇企画にスタッフで参加して「毎日芝居のこと考えてる」という日々に酔い始めた。

「大学なんて早く終えて、大人になりたい。
 ○ックスしたい。彼女欲しいよー!」という心の叫びが生々しく書き残されていたり…。

いつもつるんでる4人組だったり、仲良しのオミミちゃん(仮名)と自転車2人乗りしたり、学校の課題のシナリオは徹夜してやっつけたり、毎日とにかく眠かったり…。
青春ではあったけれど、盛り上がっていたんだろうけれど、微妙に失敗してるようにも今は少し思える。

実家に友だち泊めてたりもしたんだな…。
よく知らない人の映像企画にも誘われるがまま参加してたりしたんだな…。

本ッ当〜に色んなところに顔を出して、やれるだけ全部やって、授業で寝てる。
イイ雰囲気になったからオミミちゃんに告って、付き合うことになって、でも付き合うことってどういうことかお互いによくわかんなくて、2週間足らずで別れて。

サークル1年生用のWebサイトみたいの作ったりして遊んでた。

6月―自分を見失いかけて優しさに甘えたくて

友だち(今も盟友)の繋がりで外部の社会人劇団にお手伝いのような感じで顔を出し始めたころ。

色々と手を出しすぎてイッパイイッパイになっていたこともあり、でもまだもっと自分を変えたかったこともあり。
急に髪の毛を染めてみた。生まれて初めて美容院で、ブルーに。

地方から出てきてひとり暮ししてるくらげちゃんの家に行って飲んで、イチャイチャして…なんて甘酸っぱいこともあったんだな…(でもㇱてはいない)。
やみくもに動いて疲れ果てて弱気になっていた僕を、抱きしめて一緒に寝てくれたあのコは…本当に救いだったなあ…(でもㇱてはいない)。
そして、僕は「そんな一夜もあったなあ…」と思っていたんだけど、こんなことが何度もあったみたい。

でも本当にㇱてはいない。
…これどんなラブコメよ!?(笑)

「いっぱいやりたいことある。
 やりたいこと、したい。
 しなきゃ面白くない。」

愚痴を聞いてくれる友だちに愚痴り、弱いくせして酒に逃げ…、日記には「甘えたい」と書きながら、忙しく毎日走り回ってる自分に酔ってもいて…、混迷してきている。

7月―夏に向けて期待しながら無理をする

先の稲葉さんの演劇企画に、舞台監督補佐という曖昧なポジションで参加して、人生で初めての本番。
お客さんを入れての「公演」に、高揚しながら落ち込みながら、悩みながら挑んだ夏。

心身ともにギリギリながら乗り切って、打ち上げで全部ぶちまけるような…悪いノリを覚えてしまったのはココのようだ…。
芝居という、みんなで大きな苦労をして、形に残らないステージ作品を送り出す、わりと陶酔型の学生演劇にハマってしまったんだよね…。

夏休みを前に、新しい企画の話もあったりして、モチベーション取り戻しつつある。

一方、ウザいOBそのままに結局、何度も高校の放送部に顔を出していた。
いま思い返すと…それも例のOBから「OBらしく放送部に顔を出して現役生の面倒を見ろ」とか言われていた気がする。
…嫌な風習の連鎖だったわねー!
僕は自分なりに「後輩に事前に連絡して、迷惑になりそうだったら遠慮しよう」と心がけていたはずだけれど…どうだろうねえ。

そして夏といえば日焼け。
「アルビノで日焼けがダメで…」って説明する勇気がなかった(しかも当時は【アルビノ】というワードを持ち合わせていなかった)僕は、周りに合わせて半袖で過ごし、普通〜に日焼けして苦しんでいた。

慣れた顔で飲み屋に入って、身分証を求められて凹んだり。
わりと頻繁にウチにも来ていた友だちと、いつものように飲んでたり。

サークルでは映像(学生映画)企画に参加してた青春…。
機材とか借りたり別チームに渡したり…。
現代ではマストじゃないんだろうな〜。スマホで撮れるからな〜。
おじさんの時代だな〜懐かしいな〜。

8月―まだ無理し続けている自分に気付けないまま

なんでもかんでもやろうと詰め込んで、いくつもの大切な瞬間を取りこぼしているような日々。
もうちょっと欲張らずに、やりたいことを選べば良かったのにねー。

疲れながら毎日どこかしらの企画に参加して、微妙なパフォーマンスで消化不良、みたいな繰り返しをしてる…。
これも若さ…かな〜。
「どうしよう〜大変そうだな〜」と悩みを書き記しながら、結局パンパンの日々を強行していた。

高校の放送部に顔を出すのも、毎回「面倒くせえ」って書いてるならヤメりゃいいのにー!
まだしてる北海道の子との深夜の電話も、別の先輩から声かけられた演劇企画も、気乗りしてないならやらなきゃいいのにねー!

「呼ばれたら行く」
悪いとは言い切れないけれど、良くもなかったよな〜と大人になってから思う。
忙しいぶってるの、本当のところは強がりで…「必要とされていたい」からだったな〜って。

「彼女欲しい」とボヤきながら、徹夜で映画撮ったりしてた。
若さだねー!絶対、徹夜して撮影してもスペック落ちるだけなのに…。
まあ、仲間たちと一緒に一晩中やってるってのが、楽しかったんだね。

遊びとしては、先輩の運転で静岡へ、あるコの実家にみんなでお泊まり会とか。
翌日は富士急ハイランドへ行って、お化け屋敷の先頭を歩きリアクション芸を見せたりして。

別件で、パシフィコ横浜でPAお手伝いバイトが連日あるということで、横浜住まいの先輩・稲葉さんのところに泊めてもらったりもしていたらしい。
全く憶えてなかったな…!

(ほぼ毎日「疲れた」「眠い」って…明らかにキャパ越えでダウンしかけてた…)

9月―日記を書く気力すら薄れ始めた秋

サークルの夏合宿で鎌倉へ。
青春だー!
1人の女の子(僕の同学年)に、3つ上の先輩1人と1つ上の先輩2人が思いを寄せたり、告ったり振られたり。
このエピソードは今でも笑い話としてイイ味がする(笑)。

あとは日常的に、チャンスを見つけては誰かと飲みに行ってる日々。
この頃にはもうすっかり本格的に「周りにたくさん話して自分を保つ」スタイルね。

乗り気じゃないまま参加した演劇企画でも一緒にいる、入学直後に話しかけてくれたクレオちゃんと仲良くしてて、淡く好きになりかけたり。
僕がアッという間に付き合って別れたオミミちゃんが、その演劇企画の稽古中に目の前で主宰の先輩とイチャついてるのにムカムカしたり。

高校の文化祭にOBとして遊びに顔出ししたら、上のOBに言いがかりのようなものつけられて
OBはOBになっても嫌いだな」と日記には書き残していた。

10月―授業もサボりはじめて末期感が漂う

引き続き、先輩たちにグチりまくったりして過ごしていた10月。

ある朝、所沢駅のマクドナルドで友だちと待ち合わせをしてたら、ものすごい可愛い店員さんに声をかけられる。
話してみると、小学校の同級生の女の子で…、しかも「どうやらあのコが粕谷くんのこと好きらしいよ」なんてバカみたいな噂を聞いたことがあったコだったから、かなりアガった。
マジめちゃくちゃ可愛かったなー!!
どうなることもなかったけどなー!!

学園祭で本番の演劇企画は、スタッフも兼任だったりして、毎日忙しそうにしていた…けれど。
わりと多くの時間を、人間関係のもつれに割いていて…、またこれもなんてラブコメ!?
誰が誰を好きだとか、付き合ったとか別れたとか気まずいとか…、まったくもう、青いね…。

映画企画の方の編集をする友だちの部屋にも泊まりに行ってたりした。
あの当時はかなりデカいPCでも編集・書き出しは今と比べ物にならないくらい時間かかったしな〜。

午前の授業とか寝坊しまくってる…。
キャパオーバーのまま無理してるからだよって、今の僕から伝えてあげたいわ。

11月―やっと終わることが出来た学園祭

前日準備から、芸祭本番。
サークルの運営スタッフでも動きつつ、自分は例の演劇に出演したり。

楽しかったんだろうけど、それより教室の片付けの待機時間に「モノボケ大会」みたいな悪ふざけをしてたこととか、打ち上げではしゃいでたこととかの方が熱い思い込み上げてくる。

もちろん、サークル内でどんどんカップルが出来ていって。
切なく過ごしていたな〜。
(気になってたくらげちゃんも、オミミちゃんも、クレオちゃんも…みんな他と付き合ってた)

学園祭がピークで落ち着いたのか、急に穏やかになり始める僕の日記。
一気に「何か面白いことしたいなー」みたいなモードに入ってる。

そんなフラストレーションからか「朝までしゃべった」みたいな日が多々。
特に恋愛の話とか将来の話とか童貞魂のバカ話とか…。
あと徹カラね!やたらオールしたかったんだよね…。

にしても、随分飲みに行ってるな…?
そんなにユルかったっけ?時代。今じゃ…とんだ不良だな。
あとカラオケにもよく行ってるし、ビリヤードとかも少ししてる。

12月―新しい何かを探しはじめる年末

人生で初の合コン…!
全然…憶えてないけど。やたら打ち合わせと称して策を練る会合をし、気合を入れて挑んで。
そしてその後うまくいった記憶も無いけど(笑)。
日記には「まあ良かった」とか書いてあって…楽しそうだから良いか。
(しばらくメールは続けてたみたいだけど…それだけ)

一方で、いつの間にか付き合っていた同学年女子×稲葉先輩のカップルが別れ話でこじれて揉めてたらしく、仲裁か何かに入ってみたりして。

年末、最後の日記には。

「後悔、とにかくないようにがんばろう。
 自分が死ぬかと思うくらい、がんばろう。
 よし、行けよ、来年こそ。
 2003年は、ヤレよ。

…うわー!ただの童貞少年だったー!!

終わりに

思い返すと…こんなに無茶苦茶してたからか、後悔はあれど未練は無いような気がしてる。


今になって思うと…、とても優しく最悪に酷だったのは、放っておいてくれちゃって、こんな未熟すぎてダメな僕を、叱ったり正したりしてもらわなかったってこと。
まあ、嫌いな人には怒られようが「うぜえ…」って思ってたんだけど。

友だちとか先輩とか、親しい人から少しでも叱られてたら、あんなに滅茶苦茶にはならなかったような気が、しなくもない。


ところで、僕はまだ下着はブリーフだったみたい。
いつごろトランクスに変えたんだっけな…?


一人称は、たしか大学2年になって…、サークルの後輩をこわがらせないように仲良くなれるように「僕」に変えたんだったかな。

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